『小さい頃は、神様がいて』第5話レビュー〜群像劇としての輪郭がより鮮明に。幸福とは何かを問いかける回

ドラマ
『小さい頃は、神様がいて』10月期木10ドラマ【フジテレビ公式】Xより引用

<あらすじ>

「たそがれステイツ」に帰ってきた永島慎一(草刈正雄)とさとこ(阿川佐和子)。そして一緒に暮らし始めることになった孫の凛(和智柚葉)と真(山本弓月)のために、住人たちは「お帰り&ようこそパーティー」を開く。凛と真が寝たあと、小倉渉(北村有起哉)とあん(仲間由紀恵)の息子・順(小瀧望)は、消防士になった理由などを一同に打ち明ける。その話を聞いて、何かが引っかかるあん。

翌朝、慎一は気持ちがふさぎ込んでしまっていた。さとこは発破をかけるが、表情が優れないままラジオ体操に向かう慎一。そこへ「たそがれステイツ」の住人たちがにぎやかにやってくる。さとこが力強く声をかけ、慎一の顔にはようやく笑顔が。元気にラジオ体操をする一同。一方、樋口奈央(小野花梨)と高村志保(石井杏奈)の映画を撮ることにしたゆず(近藤華)は、二人に一日密着する。

あんはその日の夜、同窓会があることを思い出す。「行けばいいじゃん」と軽く言う渉をにらみ付けるあん。その後、同窓会にまつわる女性の心情について会社で話を聞いた渉は、同窓会から帰ってきたあんに声をかけるが…。
そんな中、翌朝さとこが起きると、凛が突然姿を消してしまい…!?

第5話を見終えてまず感じたのは、北村有起哉さんの“お芝居の柔軟さ”。セリフを発していない時の表情や仕草に、役の温度がちゃんと宿っている。他の役者のセリフを聞いている時の在り方も、自然で自在。思わず「あぁ、さすがだな」と感嘆します。

■ 奈央・志保カップルの“美しい空気”

これまで大きく触れられてこなかった奈央と志保カップルだが、今回あらためて「綺麗に撮れてるなぁ」と再確認。美しい彼を撮ってきた監督だけあって、2人の表情がとてもいい。
部屋の中にテントを張って寝る設定も秀逸で、そのギミックが2人を「絵本の中の登場人物」のように見せる。柔らかな照明に、テントがフレーム代わりになり、静かで、優しい世界観が立ち上がる。「ちょっとだけエスパー」の主人公の自宅も同じものを感じる。部屋の中に仕掛けをしてフレームを作る。

■ さとこ&慎ちゃん夫婦に“孫”という新たな要素

さとこと慎ちゃん夫婦に孫が来てから、ドラマ全体の構造がさらに変化。どうしても渉とあん中心になりがちなところに、新たなファクターが自然に溶け込み、物語が複層的になる。
改めて思う、これは“群像劇”なんだと。

そう見えてくると、渉とあんのやり取りも別の角度から見えてくる。順とゆずの視点がしっかり入ってきていて、脚本のバランス感覚の良さを感じる。まぁ、当然といえば当然なのだが。

■ “同窓会問題”で揺れる夫婦

あんは、同窓会があることを思い出す。

渉「じゃ、行けばいいじゃん?」
あん「はぁー?」
渉「はぁ!?」

なぜ機嫌が悪くなるのかわからない渉。
——※これ、同じ会話をした経験がある。夫婦あるあるなのかもしれない。男って基本、デリカシーがないですよね。中年の今だから、外から見てるからよく理解できる。

そして毎度の“車で夫婦コミュ”。
渉の「反省ループ」再び。しかし、これだけ会話ができれば本来はすごくいい夫婦になれるはず。2人の雰囲気はとてもいいのに。

■ 「幸せよね?」と言われ続ける妻の感情

渉が聞かせるエピソード。
会長の奥さんが周りから「幸せよね?」と言われる話だ。

夫や家や子どもを褒められているだけで、自分自身のことを誰も褒めていない。
「幸せだよね」「良かったね」——でも、それは本当に“自分の幸せ”なのか。

このドラマはずっと一貫して、「幸せとは何だろう?」を問い続けているのだと、あらためて感じさせられる。

■ 凛ちゃん、失踪。

凛ちゃんが失踪し、暮らしていた平塚の家へ向かう。

ここで見えてくるのが、順と凛の“同じ感性”。
家を見渡せる景色が好きという感覚がリンクする。このことで、順が“天使のようなキャラ”として描かれてきた秘密も明らかになる。つまり順は、すべてわかった上で、母・あんに笑顔を向けていたのだ。

■ 第5話を終えて思うこと

物語は折り返し地点へ。

ドキドキやモヤモヤが前面に出る回ではない。だが、静かに流れる“物語の機微”が、見ている私たちの想像力やほろ苦い経験を呼び起こす。
それが妙に心地いい。

まるで自分自身がドラマの中に入り込み、“たそがれステイツ”の住人の一人になったかのような視点で見られるのだ。
こういう味わいは、中年になって初めて分かるのかもしれない。

タイトルとURLをコピーしました