「淀3000mを逃げ切った菊花賞馬セイウンスカイ」逃げ馬列伝パート2

ドキュメンタリー


TBSドラマ『ザ・ロイヤルファミリー』本格競馬ドラマが競馬熱を思い起こさせてくれる。第2話は「逃げ馬」。この時期に思い出す馬が2頭。1頭は前回書いた“サイレンススズカ”もう1頭は菊花賞馬“セイウンスカイ”。奇しくも、2025年の菊花賞は芦毛×菊花賞×横山典弘のヤマニンブークリエが出走する!27年前の再現なるか、ロマンを感じる。

淀3000mを逃げ切った芦毛セイウンスカイ

「逃げ馬が勝つ」という展開ほど、胸を熱くするものはない。だって、ほとんどのレースで直線で失速する先頭の馬を見ている気がする。確率を今度調べてみよう。
特に、長距離GⅠの菊花賞で逃げ切るなど、常識では考えられない芸当だ。だが1998年、セイウンスカイはその“常識”をあざ笑うかのように、京都の淀3000メートルを先頭のまま駆け抜けた。

今回は、クラシック戦線を駆け抜けた“逃げ馬の美学”を持つ名馬、セイウンスカイの軌跡を追う。


■ 弥生賞から始まった三強時代

デビュー2戦2勝。勢いそのままに挑んだ弥生賞は、いきなりクラシックの登竜門。
しかし、ソエの悪化で満足な調整ができず、状態は万全とは言えなかった。それでも果敢に逃げて、ゴール寸前でスペシャルウィークに交わされるまで主導権を握り続けた。

結果は2着。しかし、その逃げ粘りが評価され、皐月賞への優先出走権を獲得。
そしてこのレースをきっかけに、後に“1998年クラシック三強”と呼ばれるスペシャルウィーク、キングヘイロー、セイウンスカイの三つ巴が形成されスポーツ紙を賑わせた。昔は新聞がよく売れる時代でした。

さらにこの敗戦を機に、徳吉孝士から横山典弘へ騎手変更。
保田調教師の「新しい厩舎を背負ってくれるジョッキーを」という想いと、横山の攻めの騎乗スタイルが、のちに奇跡の逃げへとつながっていく。この時、横山典弘はクラシック無冠だった。


■ 皐月賞――大胆不敵な逃げ、横山典弘の決断

迎えた皐月賞。
スペシャルウィークに次ぐ2番人気。相変わらず枠入りを嫌がる素振りを見せながらも、スタートしてしまえばその走りは堂々たるもの。
序盤の1000mは60秒4という、決して緩くないペース。それでも息を乱すことなく、4コーナーで馬なりのまま先頭に立つと、後続の猛追をあっさり振り切った。

印象に残ったのは、その「余裕」だった。
逃げ馬でありながら、馬群を制御し、仕掛けどころを冷静に見極めた横山の騎乗。
この一冠で、セイウンスカイは“ただの逃げ馬”から“戦略で勝つ逃げ馬”へと格を上げた。どうしても勝ちたかった。


■ ダービーで味わった、逃げ馬の宿命

皐月賞馬として挑んだ日本ダービー。
スペシャルウィーク、キングヘイローに続く3番人気という評価は、「皐月賞はフロック」と見られていた証拠と見られても仕方ない。
レース本番キングヘイローの鞍上福永祐一が「緊張にのまれて、頭が真っ白になってしまった」と振り返る。大観衆の熱狂にスタート直後から折り合いを欠き、なんとキングヘイローがキャリア初となる逃げを打つ形になる。セイウンスカイは2番手。前半から息の入らない展開となり、直線では手応えを失い4着。スタート直後、どよめき&歓声が上がったのを覚えている。


この敗戦でセイウンスカイは“長距離では通用しない”という声もあったと記憶している。当時、主流ではなかった血統。

しかしこの夏、セイウンスカイは西山牧場でリフレッシュ。調教師・保田隆行は天皇賞ではなく菊花賞を選択する。
逃げ馬にとって未知の3000m。無謀とも思える挑戦だったが、ここから“伝説”が始まる。


■ 京都大賞典――古馬をねじ伏せた異次元ラップ

秋初戦に選んだのは古馬混合の京都大賞典。
当時の菊花賞ローテとは異なるこの選択には、ゲート難への配慮もあった。
メジロブライト、シルクジャスティス、ステイゴールドといった名だたるGⅠ馬が顔を揃える中で、セイウンスカイはここでも人気薄で7頭立ての4番人気。

だがスタートから、他馬とは次元の違うスピードを見せた。
2ハロン目から11秒台前半のラップを刻み、後続を突き放す。第3コーナーで一度息を入れ、再び直線で加速。ラスト2ハロンを11秒台でまとめ、なんせ春の天皇賞馬メジロブライトの追撃をクビ差抑えて逃げ切ったのが大きい。タフネス!という印象が残る

この勝利が、京都という舞台で彼の逃げが“計算された芸術”であることを証明した瞬間だった。


■ 菊花賞――暴走ペースのまま、逃げ切った異能

そして迎えた11月8日、第59回菊花賞。
セイウンスカイは単勝4.3倍の2番人気。ライバルはもちろんスペシャルウィーク。
ゲートが開くと、迷わずハナへ。だが、この日だけはいつもと違った。

前半1000m、なんと59秒6の爆走。
3000m戦でこの数字は、ほとんど「暴走」に等しい。
そんなの脚が残るはずもない。だがセイウンスカイは、まるで自分のリズムを信じるように、そのまま走り続けた。テレビ中継を見ながら、かかってるんじゃないか?淀の3000mで禁忌の走りと思った。

しかし、中間で一度ペースを落とし(1000mを64秒3)、坂の下りから再びスパート。
残り1000mを59秒3でまとめるという驚異の再加速。
この芸術的ラップが、後続の脚を完全に封じた。

スペシャルウィークが懸命に追いすがるも、差は縮まらない。
ゴール板を通過した瞬間、リードは3馬身半。
菊花賞での逃げ切り勝ちは1959年のハククラマ以来、実に39年ぶり。
時計は3分3秒2――当時のレースレコードだった。


■ 菊花賞の「逃げ切り」が意味するもの

3000mを逃げ切る。それは単なる快挙ではない。
ペース配分、馬の呼吸、脚の使いどころ――あらゆる要素が完璧に噛み合わなければ成り立たない。
しかも、この年の菊花賞の前半は明らかに速い。
「暴走」と呼ばれたそのペースを、自ら作り、自ら制御したセイウンスカイ。

逃げ馬とは、孤独な存在だ。
誰も前にいない。風圧と闘い、己の限界と向き合う。
だが、彼はその孤独を楽しんでいたのかもしれない。
その軽やかな脚取りは、まるで“風”そのもののようだった。


■ 有馬記念、そして伝説へ

年末の有馬記念ではついに1番人気に支持されるも、荒れた馬場に苦しみ、同期のグラスワンダーに屈して4着。
クラシック二冠を制したにも関わらず、年度代表の座はエルコンドルパサーに譲った。
しかし、競馬ファンの記憶の中で、1998年の菊花賞といえば、誰もがセイウンスカイの逃げを思い出す。


終わりに――逃げ馬の美学とは何か

逃げるという戦術は、リスクが高い。後続に追われ続け、脚を使い切れば終わり。だが、セイウンスカイは逃げることで競馬を“支配”した。自分のペースで走り、他馬を自分のリズムに巻き込む。

それはまるで、レースという舞台を演出する監督のような存在だった。菊花賞を制したあの日、彼は確かに“淀の空気”そのものを操っていた。

セイウンスカイ――彼こそ、逃げ馬の理想形。
風のように走り、風のように去ったその姿は、今も多くの競馬ファンの胸に刻まれている。

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